◆◇◆あかりヒメの『韓国平和巡礼の旅』報告記◆◇◆
〜LOVE & PEACE!〜
<前編>
| 8月12日 「脱北者の話を聞く」 の巻 |
|---|
|
ツアー4日目。そろそろ旅の疲れが出始める頃である。 集合も移動もスローになってきて、引率するスタッフはちょっぴりイライラ顔。 この日一行は、韓国の人権救護団体JTSを訪問した。 JTS(JOIN TOGETHER SOCIETY)の母体は、『浄土会』といって、 その名から察せられる通り、仏教の理念に基づいて様々な活動を行っている。
その一つが、北朝鮮の子どもたちに対する栄養食の支援。
拉致問題に憤るのは当然だけど、それは「日本人として許せない」という前に、
「餓死する子どもは確かに可哀想だけど、あんな国に生まれるのが、運が悪いんだ。
あるいは、「人道支援はいいけれど、本当に支援を必要としている子どもたちの元に届くのか?」
という不安を抱く人もいるかもしれない。
「今、手を打つことが大切なんです」
2003年の2月中旬に北朝鮮を出て、中国・ベトナム・カンボジアを経て韓国にやって来たというこの男性は、
北朝鮮軍の将校だったそうだ。
食べ物もない、電気もない、代わりに燃料とするものもない、資材もない、
薬も医療品もない、わずかにある物は軍需用に回されてゆく・・・。
「生き延びるためには逃げるしかない」
「ほんの一部でも必要としている人に届く可能性があるならそれでいい」
そしてこの日何より驚いたのは、この男性が最初から最後まで、
まったく表情を変えることなく、実に淡々としゃべり続けたことであった。
さて、この後一行は、浄土会大学生会のメンバーと、明洞(ミョンドン)へ向かった。
というわけで、仕方なくターゲットを日本人観光客に変更。
みんなで小一時間ほど募金をして、集まったお金は30万ウォン(約三万円)也!
この日の夕飯は、一緒に募金をした学生さんたちと。 「北朝鮮のことは僕らの問題なのに、こうして一緒に考えてくれる日本人がいることに驚いた。 正直これまで日本に対していい印象を持っていなかったけれど、 今日、日本にもいろんな人がいるんだとわかった。一緒に募金をして良かった」
韓国に根強い反日感情が存在するのは事実だ。 |
| 8月11日 「韓国の国会議事堂に入る」 の巻 |
|
『ナヌムの家』で一夜を明かした一行は、この日まず、ソウルの鍾路区にある、 日本大使館前へと向かった。 ここで毎週水曜日、元日本軍"慰安婦"に対する、 日本政府の公式謝罪と法的賠償を求める、「水曜デモ」が行われているのだ。 ツアースタッフに聞いたところによると、1992年1月8日に始まった「水曜デモ」は、 以来毎週欠かさず行われ、中止されたのは一度だけ(2004年夏時点で)。 日本の神戸で震災が起こったとき、だそうである。
折りしもこの日は、8月15日の解放記念日に最も近い水曜日。
この日、炎天下のデモ会場で、マイクを握っていたひとりのハルモニが、
しかし、ハルモニたちがどんなに声を上げても、
昼食後、韓国青年連合会(KYC)の本部事務所を訪問。
韓国の若い世代は、日本の若い世代に比べれば、ずっと政治への関心が高い。
「政治をもっと自分たちに近いものにしよう」と考えた若者たちが、
こうして、「若者らしく、どんどん新しいことをやっていった」結果、
次に一行が向かったのは、韓国の国会議事堂。
さて、議事堂の会議室に案内された一行だが、
これにて本日のスケジュールは終了。あとは自由行動である。 |
| 8月10日 「『ナヌムの家』を訪ねる」 の巻 |
|
さて、ツアー二日目。テグを後にした一行は、バスで北上。 京畿道の廣州(クァンジュ)にある、『ナヌムの家』を目指した。 『ナヌムの家』で共同生活をおくっているのは、元日本軍"慰安婦"のハルモニたち。 到着後すぐに、日本から来ていた別のグループと一緒に、ハルモニの話を聞いた。
81歳のこのハルモニは、現在の韓国南部の出身。
そして日本が降伏した、1945年8月15日。
そしてハルモニの話を聞きながら、ヒメは、"拉致被害者"のことを思い出していた。
さて、中国で暮らしていたハルモニが、韓国へ戻って来たのは、2001年。
中国にいることがわかっていながら、生まれ故郷のある、または家族のいる韓国に、
話を聞き終わって、感じたことはふたつ。
この日一行は、一ヶ月半前に亡くなられた、キム・スンドクさんのお墓に花を捧げた。
そしてここでもハルモニたちに、歌や楽器の演奏を披露。
この夜は、『ナヌムの家』に宿泊。
ところで、「わざわざスタディーツアーなんてものに参加するなんて、
いったいどんな人たちなんだろう?」と思うかもしれないが、
ホントにみんな、ごくごく普通の若者でした。
なので、中にはとてもよくいろんなことを知っていて、 |
| 8月9日 パート3 「秀吉より、ウォンビン&チャン・ドンゴン!」 の巻 |
|
話が前後するが、この日一日、日本からやって来たスタディーツアーの一行と、 行動をともにしてくれた人たちがいる。 韓国青年連合会(KYC)大邱(テグ)支部のみなさんである。 テグKYCの若者たちは、被爆者のハラボジ・ハルモニと"縁組"し、 一対一で向き合うことで個々の絆を深めながら、 原爆被害の記憶を受け継いでゆく活動を行っている。
移動中のバスの車内では、韓国人と日本人が話をできるよう、
韓国語の電子辞書を使い、最も原始的な"単語指差し法"で彼から聞き出せたのは、
さて、在韓被爆者福祉会館を後にした一行は、豊臣秀吉の朝鮮侵攻に関する史跡へ。
恥ずかしながら、日本史の教科書に出てきたことは覚えているものの、
そしてこの後、思わぬおまけが!
ウォンビン&チャン・ドンゴンの等身大パネルと肩を組んでみたり、
セット場には、『ブラザーフッド』を観た人なら忘れられないであろう、
さて、さんざんはしゃぎ回った後、再びバスに乗り込もうとした一行に思わぬトラブルが。
バスのドアがロックされてしまい開かないのだ!
夕食は交流会をかねて、テグKYCのみなさんと。
韓国では同姓の友達同士でも、安く泊まれるということで、 |
| 8月9日 パート2 「ヒメ、被爆者のハルモニに励まされる」 の巻 |
|
さて、歌って踊って盛り上がった後は、フリー・トーク・タイム。 それぞれ自由に、被爆者のハラボジ・ハルモニと話をする。 一対一で向き合う人もいれば、小さく車座を作る人たちも。 ヒメも、近くにいたハルモニの前に座り込んだ。 そして「アンニョンハセヨ」と声をかける。 するとハルモニは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりと口を開いた。 「遠いところへ、よくいらっしゃいました」
そのなめらかな日本語を聞いた瞬間。なんてこと!
正直に言おう。
日本の被爆者たちが、どれほどの辛酸をなめたかということについては、
・・・とまあ、そういうもろもろを頭に入れた上で、
過去を知るのは未来のためだ。
ハルモニの声があんまりやさしかったので、ついボロッときちゃったのだ。 「あなたの方こそとっても細いけど、どこか悪いところがあるわけじゃないのね?」
そして、差し入れのバナナ牛乳(とてもおいしい!)を、
・・・あぅ。
短い交流時間が終わって、ツアーメンバーはバスに乗り込んだ。
余談になるが、泣きながら手をさすってもらっていたヒメは、目を引いたのだろう。
ここへ来るのが怖かったこと。でも、ちゃんと話を聞きたかったこと。
・・・などなどを話すつもりだったのだが、かなりしどろもどろで脈絡のないことを口走っていたような気がする。
しか〜し!後日、都内で開かれたイベントで、ツアースタッフのひとりに会ったとき、
さらに余談になるが、ヒメはハプチョンの被爆者会館で、もうひとつ反省した。 |
| 8月9日 パート1 「スタディーツアー、幕を開ける」 の巻 |
|
待ちに待ったツアー初日である。 ・・・であるが、実はこのとき、ヒメの胸は不安でいっぱいだった。 原因はいくつもある。そもそもヒメは団体行動が苦手である。 その上、けっこうな人見知りでもある。そして、ちょっぴり虚弱体質である。 そんな人が、である。 20数名の団体に加わって、初めて出会う韓国の人たちと交流、交流、 また交流を繰り返しながら、一週間にわたりタイトなスケジュールをこなす、 そんなツアーに参加しよう、というのである。 ありゃま、無事、乗り切れるのか! しかし、そんなヒメの不安など誰も知る由もなく、ツアーは幕を開けたのだった。
この日、前日までに飛行機で韓国入りしていたソウル集合組は、
さて、一行は昼食を終えてから、最初の訪問地、
彼らは長らく、日本で被爆したにもかかわらず、
おりしも一行が被爆者会館を訪れた8月9日は、長崎に原爆が投下された日。
まずはジャンベの演奏から始まり、ギターに合わせて"涙そうそう"を歌い、
と、そこへ、「あたしにまかせなさいな」とばかりに、ハルモニたちが出てきた! |
★CLICK PLEASE!★↓↓↓
|