◆◇◆あかりヒメの『韓国平和巡礼の旅』報告記◆◇◆
〜LOVE & PEACE!〜
こんにちは。井上あかりでございます。
すっかり秋風が吹いちゃってる今頃になって何ですが、
ワタクシこの夏、
"PEACE NOW KOREA JAPAN"
なるネットワークが主催する
スタディツアーに参加して、韓国に行ってまいりました。
"PEACE NOW KOREA JAPAN(略してPNKJ)"ってのは、
「朝鮮半島にPEACEを!」という呼びかけに集まった、
20〜30代の若者たちが立ち上げた新しいムーブメント。
日本・在日コリアン・韓国のNGOが一緒に活動しています。
そんなPNKJのキーワードのひとつが
"LIVE TOGETHER"。
朝鮮半島にとどまらず、東アジア全体の平和な共生関係を、
市民同士の対話と行動から作り出そうと、
チャレンジしているわけなんです。
ちょっと、そこのアナタ!
なんか難しそう…、ってひかないで!
そんなことないんですよぉ。
要は「友達になろうよ。そして一緒に生きていこうよ」ってこと。
もちろん、友達になるためにはたくさん話をしなきゃならない。
お互いを知ること、理解できることもできないことも含めて
相手を受け入れること。
それができなきゃ友達になんかなれないし、
一緒に行きていくなんて、絶対ムリムリ!
PNKJの韓国スタディツアーは、
この相手を知り自分を知ってもらうという大切な機会を、
ツアー参加者全員に与えてくれるものでした。
もっと言えば、このツアーは同時に、
改めて自分自身と向き合う機会も与えてくれたような気がします。
韓国で過ごした一週間あまり、いろんなところへ行き、
いろんな人と出会い、いろんなものを見て、いろんなことを感じました。
そのすべてを言葉にするのは不可能だけど、
ほんの少しでも誰かに伝えたいという思いが捨てきれず、
ななかまど隊長にホームページへの掲載をお願いした次第です。
つたない文章ですが、ちょいと興味をそそられた方はもちろん、
どーでもいいわという方も、ここまで読んでしまったのも何かの縁(笑)、
どうぞ最後までお付き合いくださいませ。
それでは行ってみよう!題して、
泣いた!笑った!歌った!
あかりヒメの『韓国平和巡礼の旅』報告記
はじまり、はじまり。
| 8月15日 「日韓平和キャンプ」の巻 パート3 〜最終回〜 |
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日韓平和キャンプ最終日。 日本では『終戦記念日』、韓国では『光復節』と呼ばれるこの日、 光化門の広場にて、キャンプに参加した全員で、平和を願うパフォーマンスを行った。
サッカーのサポーターのように、フェイスペインティングをし、
それは小さなパフォーマンスだったかもしれない。
多くの参加者が『PEACE NOW KOREA JAPAN』のTシャツを着ていたこの日、
「みんなとお揃いのTシャツにしてもよかったけれど、
8月15日は韓国人にとって、日本の支配から解放され、「光が復活した日」である。
「8月15日に日本の着物を着るなんて、今でも韓国では考えられないこと。
"アンチ日本"というムードが広がりやすいこの日に、自分の体で、
さて、昼食会終了後、仁寺洞(インサドン)の一角で、いよいよこれで解散となった時、
合同キャンプの三日間のみならず、スダディーツアーの間中、
ほとんどの人は、あっけにとられていたけれど、
あの日、仁寺洞で、私たちの歌を聞いて嫌な思いをした人、ごめんなさい。
つづいてゆくように
寿『我ったーネット』より おわり
けれど、最後にひとつだけ書き加えておきます。
韓国人の反日感情は根深いとか、韓国の国民感情はどうこうとか、
ここまで読んでくださった、あなた。 どうもありがとう。 2005年 夏の東京にて 井上あかり |
| 8月14日 「日韓平和キャンプ」の巻 パート2 その3 |
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光復節イブのこの夜、一行は国会議事堂前で行われた、 8.15記念の野外コンサートに足を運んだ。 "Shouting peace in Korea"と銘打たれたこの無料ライブは、 その名の通り、反戦と平和のメッセージをストレートにぶつけるもの。 巨大な特設ステージ。朝鮮(韓)半島の形に並べられた客席。 大掛かりな音響と照明。 一国の国会の前で、こんなことをやってしまうことが 可能なのか、今の韓国という国は。日本の永田町じゃあり得ないよ! ・・・と、度肝を抜かれつつ、騒ぎまくる一行。 誰が歌ってようが、何を歌ってようが、とにかく跳ねる跳ねる!
そうしてひたすら大騒ぎをしていた時、司会の女性の口から、
舞台上でバックダンサーを従え踊っていた、ヒラヒラ衣装の男性アイドル歌手は、
コンサートのトリを飾る歌手、アン・チファンさんが登場した瞬間。
だってアン・チファンさんというのは、韓国ではホ〜〜〜ントに有名な歌手なのだ。
コンサート終了後、アン・チファンさんのTシャツの種明かしを聞いた。
宿に入り、シャワーを浴びて一息ついた後、施設の外に集合。
まずは2つのグループに分かれ(総勢約50名だから、各チーム20数名ずつ)、
ここからがスタート。つないだ手を離さずに、絡み合った腕をほぐして、
この夜は2チームで競って、1チームは完全な輪を作り上げ、
ほんとにね、そうだといいんだけどね、何事も。 |
| 8月14日 「日韓平和キャンプ」の巻 パート2 その2 |
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ソウル市内へ戻って昼食をとった後、「過去15年、東アジアで何が起きたか」 というテーマで、専門家の話を聞く。 冷戦終結後の東アジア各国の動きが、アメリカ、ロシアなどを絡めて、 わかりやすく語られる。・・・が、断続的に襲いくる睡魔に負け、何度もウトウト。 旅の疲れが出る頃だったのか、体調を崩し、ホテルに戻った者も何人かいた。
その後、日韓混合の4つのグループに分かれ、テーマ別討論会を開始。
1班では、日本側が韓国側に、約一ヶ月後に開催予定のPNKJのイベントに、
2001年9月17日の日朝首脳会談。
2003年、日朝首脳会談から一周年である9月17日という日を選んで、
それでも「9.17にこだわりたい、この日を"平和のメッセージを発信する日"と
したい」と考えるPNKJ側は、韓国のNGOの人たちに、同じ日の同じ時刻に、
しかし韓国側の反応は、イマイチだった。
そして、「今年は、心が通じたと思う者が、日本に行ってイベントに参加するとか、
「共通の認識ができてからなんて言ってたら、いつまで経ってもできないよ。
彼女のこの一言で、消極的だった場の雰囲気はガラリと変わった。
それから一ヵ月後の、2004年9月17日。東京、明治公園にて。
韓国のNGOの人たちは、「イベントを同時開催したい」という日本側の願いに |
| 8月14日 「日韓平和キャンプ」の巻 パート2 その1 |
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寝不足でも二日酔いでも、朝はやって来る。 ゆうべの酒宴のなごりを引きずりつつ、バスに乗り込んだ一行。 江華島を後にし、目指すは韓国最北の駅、『都羅山駅』。
道中、隣の席に座った学生さんと話をする。彼、片言以上の日本語を話すのである。
「今、弟が徴兵に行っている」という彼に、
ふとバスの外の風景に目をやると、赤い看板があちらこちらに建っている。
バスを降りた一行は、まず都羅展望台へ。
外へ出て、眼前に広がる山並みを見た。
韓国と北朝鮮の間で、鉄道の連結プロジェクトが進められるようになったのは、
しかし、改札を抜けると、気分は一転した。
駅のガイドさんの許可を得て、プラットホームから線路へと降り立った。 |
| 8月13日 「日韓平和キャンプ」の巻 パート1 |
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今回のツアーのメインイベントである『日韓平和キャンプ』、いよいよ本日開始。 今日から二泊三日、韓国のNGOで活動する若者たちと行動をともにするのである。
朝、ソウルの街角に止められたバスの中で、眠い目をこすりながら待っていると、
ちょうど朝鮮(韓)半島の中心線上に位置する江華島は、
地元の高校の先生の話を聞き、歴史館を見学した後、自転車で島内を移動。
江華島は干潟が多いことでも知られている。
この日の宿泊先は、マリハッキョ。
そしていよいよ本題へ。
そして最後に前に立ったのは、兵役拒否をしたために起訴されている青年。
さて、報告会が終わった後は、マッコリで宴会。 |
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