〜 泣いた!笑った!歌った! 〜

◆◇◆あかりヒメの『韓国平和巡礼の旅』報告記◆◇◆

〜LOVE & PEACE!〜

こんにちは。井上あかりでございます。
すっかり秋風が吹いちゃってる今頃になって何ですが、
ワタクシこの夏、
"PEACE NOW KOREA JAPAN"
なるネットワークが主催する
スタディツアーに参加して、韓国に行ってまいりました。

"PEACE NOW KOREA JAPAN(略してPNKJ)"ってのは、
「朝鮮半島にPEACEを!」という呼びかけに集まった、
20〜30代の若者たちが立ち上げた新しいムーブメント。
日本・在日コリアン・韓国のNGOが一緒に活動しています。
そんなPNKJのキーワードのひとつが 
"LIVE TOGETHER"
朝鮮半島にとどまらず、東アジア全体の平和な共生関係を、
市民同士の対話と行動から作り出そうと、
チャレンジしているわけなんです。

ちょっと、そこのアナタ!
なんか難しそう…、ってひかないで!
そんなことないんですよぉ。

要は「友達になろうよ。そして一緒に生きていこうよ」ってこと。
もちろん、友達になるためにはたくさん話をしなきゃならない。
お互いを知ること、理解できることもできないことも含めて
相手を受け入れること。
それができなきゃ友達になんかなれないし、
一緒に行きていくなんて、絶対ムリムリ!

PNKJの韓国スタディツアーは、
この相手を知り自分を知ってもらうという大切な機会を、
ツアー参加者全員に与えてくれるものでした。
もっと言えば、このツアーは同時に、
改めて自分自身と向き合う機会も与えてくれたような気がします。

韓国で過ごした一週間あまり、いろんなところへ行き、
いろんな人と出会い、いろんなものを見て、いろんなことを感じました。
そのすべてを言葉にするのは不可能だけど、
ほんの少しでも誰かに伝えたいという思いが捨てきれず、
ななかまど隊長にホームページへの掲載をお願いした次第です。

つたない文章ですが、ちょいと興味をそそられた方はもちろん、
どーでもいいわという方も、ここまで読んでしまったのも何かの縁(笑)、
どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

それでは行ってみよう!題して、

泣いた!笑った!歌った!

あかりヒメの『韓国平和巡礼の旅』報告記

はじまり、はじまり。



あかりヒメの『韓国平和巡礼の旅』報告記、
前編 は、こちらをクリック!



8月15日 「日韓平和キャンプ」の巻 パート3 〜最終回〜
日韓平和キャンプ最終日。
日本では『終戦記念日』、韓国では『光復節』と呼ばれるこの日、
光化門の広場にて、キャンプに参加した全員で、平和を願うパフォーマンスを行った。

サッカーのサポーターのように、フェイスペインティングをし、
ジャンベのリズムで歌を歌いながら、大きな白い布に描かれた東アジアの地図を、
色とりどりの手形で埋めていく。
歩道に渡したロープには、思い思いのメッセージを書き込んだ短冊が揺れる。
最後に、ゆうべ日韓双方の代表者たちが徹夜で練った4つの声明文を、
日本語、韓国語で発表、一緒に反戦・平和を求めて行くことを誓い合った。

それは小さなパフォーマンスだったかもしれない。
けれど、8月15日という日に、日本と韓国の若い世代が
一緒に何かをやったということには、大きな意味があると思う。

多くの参加者が『PEACE NOW KOREA JAPAN』のTシャツを着ていたこの日、
甚平姿でパフォーマンスに参加した韓国人の青年がいた。
彼は、最後の昼食会の席で、こう言った。

「みんなとお揃いのTシャツにしてもよかったけれど、
 ぼくは今日、わざと甚平を着てきました」

8月15日は韓国人にとって、日本の支配から解放され、「光が復活した日」である。
戦後60年も経ったのに、と思う人もいるだろうが、60年しか経っていないとも言える。
両者の間には、今なお問題が山積みだし、意識の隔たりもある。

「8月15日に日本の着物を着るなんて、今でも韓国では考えられないこと。
でも自分はあえて、それをやろうと思った」

"アンチ日本"というムードが広がりやすいこの日に、自分の体で、
「新しい関係を築こう」という意思表示をしてくれる韓国の若者に出会ったことを、
きっとこれから何度も思い出すだろう。
日韓関係にまつわる、様々な報道をみるたびに。

さて、昼食会終了後、仁寺洞(インサドン)の一角で、いよいよこれで解散となった時、
「最後にもう一度歌いたい」という声が上がり始めた。
日韓双方のコーディネーターの了解を待って、みんなが歌い出したのは、
寿の『我ったーネット』

合同キャンプの三日間のみならず、スダディーツアーの間中、
何度も何度も歌ったこの歌。
メロディは繰り返しが多いし、サビは「ららら〜」だから、
韓国の参加者たちも一緒に盛り上がれる。
てなわけで、ホントにすんげぇ盛り上がっちゃったんですけどね、
今振り返ると、8月15日という日に、ソウルの街角で(しかも仁寺洞なんて繁華街で)、
日本語の歌を歌うなんて、ちょっと配慮が欠けていたのでは、と思う。

ほとんどの人は、あっけにとられていたけれど、
中には苦々しい思いを抱いた人もいるだろう。
実際、文句をつけてきたっぽいおじさんもいました。
会話の内容は全然わからなかったけれど、あの時、瞳に涙をためながら、
おじさんに向かって何かを説明しようとしてくれた、韓国の男の子の姿を、
私は忘れないと思う。

あの日、仁寺洞で、私たちの歌を聞いて嫌な思いをした人、ごめんなさい。
でも、本当はそんな人にこそ、この歌の意味を伝えたいです。

つづいてゆくように
つながってゆくように
あなたの道も、私の道も、みんなの道も

           寿『我ったーネット』より

                                          おわり



************************



さてさて、私が『PEACE NOW KOREA JAPAN』のスタディツアーに参加してから、
もうすぐ一年が経とうとしています。(がーん!ドンくさいにもホドがあるっ!)
そしてその間、日韓関係の雲行きが、あんまりよろしくない感じになったりもしました。
が、このレポートはあくまで、2004年8月のメモと日記を書き起こしたものなので、
その件には触れませんでした。

けれど、最後にひとつだけ書き加えておきます。
一連の、韓国における"反日感情"に関する記事を読みながら、
私はつくづく、スタディツアーに参加して良かったと思いました。
理由は単純。
それらの記事を読むたびに、私は、このツアーで出会った誰かの顔を
思い出すのです。そして思う。
彼は今、何を思っているのだろう、彼女は今、何を感じているのだろう、って。

韓国人の反日感情は根深いとか、韓国の国民感情はどうこうとか、
十把一絡げに括りがちだけど、どこの国にだって、
いろんなこと考えている人がいるんだよ。
そしてみんな日々、揺れているんだ。
大きなことや、小さなことに、いちいち揺れているんだ。
この旅は、私にそんな、当たり前だけど忘れてしまいがちなことを、教えてくれました。

ここまで読んでくださった、あなた。
あなたは素晴らしい忍耐力の持ち主ですねぇ(笑)。
お付き合いくださって、どうもありがとう。
そして、場を与えてくださったななかまさんにも感謝です。
遅々たる歩み、ピントぼけ&リズム感ゼロの文章に、
辛抱強く付き合ってくれたあなたもまた、
たぐいまれな忍耐力の持ち主だと太鼓判を押しまっせ。ポン!

どうもありがとう。

                      2005年 夏の東京にて  井上あかり

8月14日 「日韓平和キャンプ」の巻 パート2 その3
光復節イブのこの夜、一行は国会議事堂前で行われた、
8.15記念の野外コンサートに足を運んだ。
"Shouting peace in Korea"と銘打たれたこの無料ライブは、
その名の通り、反戦と平和のメッセージをストレートにぶつけるもの。
巨大な特設ステージ。朝鮮(韓)半島の形に並べられた客席。
大掛かりな音響と照明。 一国の国会の前で、こんなことをやってしまうことが
可能なのか、今の韓国という国は。日本の永田町じゃあり得ないよ!
・・・と、度肝を抜かれつつ、騒ぎまくる一行。
誰が歌ってようが、何を歌ってようが、とにかく跳ねる跳ねる!

そうしてひたすら大騒ぎをしていた時、司会の女性の口から、
『PEACE NOW KOREA JAPAN』という言葉が聞こえた。
「なんか、俺らのこと言ってない!?」
「よくわかんないけど、言ってる言ってる!」
舞い上がって席を立ち、ステージの方へ走り出すツアーメンバー続出。
ステージの真下で、また跳ねる跳ねる!

舞台上でバックダンサーを従え踊っていた、ヒラヒラ衣装の男性アイドル歌手は、
突然目の前に押しかけてきた、日本人と韓国人の混合集団に、
ちょっぴりとまどった様子。
おそらく他の観客の皆さんも、異常にハイテンションなこの集団に
驚いていたに違いない・・・。
そしてこの後、さらに一行をスーパーハイにさせる出来事が。

コンサートのトリを飾る歌手、アン・チファンさんが登場した瞬間。
一行の誰もが目を疑った。
なんとアン・チファンさんは、『PEACE NOW KOREA JAPAN』のロゴ入りTシャツを
着ていたのである。な、なんで!?

だってアン・チファンさんというのは、韓国ではホ〜〜〜ントに有名な歌手なのだ。
韓国映画『オアシス』を観た人なら、ヒロインが地下鉄のホームで歌った、
『私がもし』という歌を覚えているかもしれない。
あれはもともと、アン・チファンさんの歌である。
そ、そんな大物歌手が、な、なんで、韓国の国内向け平和コンサートで、
日本の小さなNGOのTシャツなんか着てくれちゃってんの?
よくわかんないけど、嬉しいじゃ〜〜〜〜ん!と、さらに興奮した一行は、
ステージ前を占拠したまま踊り狂ったのだった。
この時の映像は、韓国全土に報道されたらしい。

コンサート終了後、アン・チファンさんのTシャツの種明かしを聞いた。
一人のPNKJスタッフが、アン・チファンさんとつながりがあるという知人に、
事前に手紙とTシャツを託したのだ。
このスタッフいわく、「ちゃんと届くかどうかわからないし、届いたとしても、
コンサートでTシャツを着てもらえるかどうかわからないから、
みんなには言わなかった」そうだ。
しかし、手紙は確かにアン・チファンさんの元に届いた。
そして、その手紙に込められた思いと、『PEACE NOW KOREA JAPAN』という
言葉に託された願いもまた、確かにアン・チファンさんの心に届いたのだろう。
ホントに嬉しいサプライズでした。

宿に入り、シャワーを浴びて一息ついた後、施設の外に集合。
反省会というか、交流会というか、ま、行き着く先は必ず飲み会なのだが。
ところで、この夜やったゲームで、とても面白いものがありました。

まずは2つのグループに分かれ(総勢約50名だから、各チーム20数名ずつ)、
同じグループの人間が全員、両腕を前に突き出し、適当に重ね合わせながら、
誰かと手をつないでいく。
するとだんだんものすごい団子状態になってきて、たくさんの腕が
めちゃくちゃに絡まり合い、今自分が手をつないでいるのは誰かいな、
という状態になる。

ここからがスタート。つないだ手を離さずに、絡み合った腕をほぐして、
みんなでひとつの大きな輪を作るのだ。
ええっー、無理でしょう!と思いつつ、とりあえず簡単そうなところから解いていく。
といっても、なにしろ20数名がつながっているわけだから、
腕の下をくぐるのも、くぐらせるのも、一苦労である。
それでも辛抱強く続けていると、あーら、不思議。
徐々に団子状態がほぐれてきて、ちゃんと輪の部分ができ始めるのだ。
人数が多ければ多いほど大変な、でも面白さも倍増するゲームだ。

この夜は2チームで競って、1チームは完全な輪を作り上げ、
もう1チームはまだ絡み合った部分を残したまま、時間切れとなった。
「どんなにこんがらがってしまった問題でも、一歩一歩進んで行けば必ず解ける。
これは、それを教えてくれるゲームです」

ゲームリーダーの言葉に、負けチームからちゃちゃが入る。
「解けなかったんだけど!」
「今日は途中で打ち切っちゃったから。時間をかければ解けたはずです!」

ほんとにね、そうだといいんだけどね、何事も。
現実は厳しい。どんなに時間をかけても解決不能と思われる問題が山積みだ。
しかし、せめてこういう心持ちは忘れないでいたいものだ。
できることから、ひとつひとつ・・・。

8月14日 「日韓平和キャンプ」の巻 パート2 その2
ソウル市内へ戻って昼食をとった後、「過去15年、東アジアで何が起きたか」
というテーマで、専門家の話を聞く。
冷戦終結後の東アジア各国の動きが、アメリカ、ロシアなどを絡めて、
わかりやすく語られる。・・・が、断続的に襲いくる睡魔に負け、何度もウトウト。
旅の疲れが出る頃だったのか、体調を崩し、ホテルに戻った者も何人かいた。

その後、日韓混合の4つのグループに分かれ、テーマ別討論会を開始。
明日、8月15日に行うパフォーマンスのアイデアを出し合うグループ。
イラクの平和を求め、何か一緒にできることがないかを話し合うグループなど。

1班では、日本側が韓国側に、約一ヶ月後に開催予定のPNKJのイベントに、
協力して欲しいと要請。  このイベント、キャンドルを持った人たちで、
ハングル文字『オッケドンム(肩を組むような友だちになること)』と、
漢字の『友』を描き、朝鮮半島・中国大陸・台湾など、東アジアの人々に向けて
平和のメッセージを発信しよう、というもの。
と、さらっと書くと、なんだかとっても"理想主義"チックなイベントのように
聞こえてしまいますが、PNKJのスタッフの中には、多くの在日コリアンがおり、
彼らにとってこのイベントは、本当に切実な思いを抱いて企画したものだった。

2001年9月17日の日朝首脳会談。
北朝鮮が拉致問題を公式に認めたことで、多くの人たちが衝撃を受けた。
そして始まった激しい北朝鮮バッシングの嵐に、拉致とは無関係なはずの
在日コリアンたちがさらされた。
いつ自分自身が攻撃されるかわからないという恐怖にさいなまされ、
うつ病になった人たちもいるという。
憤りが憎しみを生み、憎しみが暴力を生む。
憎しみと暴力は連鎖し、被害を受けるのはいつも、力のない者と少数派である。
だからさ、いたずらに憎しみを増幅させる敵対関係ではなく、
平和に共存していく関係を作ろうよ。
『オッケドンム』『友』という字に込められているのは、そういう思いだ。

2003年、日朝首脳会談から一周年である9月17日という日を選んで、
東京の明治公園で行われた、第一回目のキャンドルイベント(通称"オッケドンム")には、 約700人が参加し人文字を作った。
24のメディアも訪れ、関心の高さがうかがえた。
しかし、今度の9月17日に行われる第二回目のイベントには、どのくらいの人が
集まってくれるだろう?世の関心はあっという間に移り変わっていく。
「9.17って何の日?9.11ならわかるけど?」てな感じである。

それでも「9.17にこだわりたい、この日を"平和のメッセージを発信する日"と したい」と考えるPNKJ側は、韓国のNGOの人たちに、同じ日の同じ時刻に、
ソウルで何かイベントをやってもらえないか、と頼んだのだ。
日韓同時開催となれば、イベントに新たな意味も加わる。
韓流ブームにあやかって、動員数を増やしたいという意図もあった。

しかし韓国側の反応は、イマイチだった。
「準備期間がない」、「お金がかかる」、「9.17は日朝関係にとっては大きな意味を持つ日かもしれないが、 韓国人にはピンとこない」、もっともな言い分である。
「韓流ブームというが、『韓国はいい。北朝鮮は最低』という差がひどすぎる」、
「日本人は、韓国の市民が長い年月をかけて、南北の交流を進め、 和解ムードを築いてきたことを知っているのか?」、
「日韓交流といっても、まだ深いところまで分かり合っているわけではない」など、
手厳しい意見も。

そして、「今年は、心が通じたと思う者が、日本に行ってイベントに参加するとか、
ソウルのどこかに集まるとか、個人レベルの行動をするぐらいしかできないのでは」
という意見に場が染まりかけたその時。
一人の韓国側NGOスタッフが、さらりとこう言ってのけたのである。

「共通の認識ができてからなんて言ってたら、いつまで経ってもできないよ。
 せっかくこうして会ったんだからさ、今できることをやらなくちゃ」

彼女のこの一言で、消極的だった場の雰囲気はガラリと変わった。
こういうことができる人を、本当に心から尊敬する。

それから一ヵ月後の、2004年9月17日。東京、明治公園にて。
第二回目の"オッケドンム"に参加した約500名の人たちは、
ソウルのマロニエ公園から送られてきた映像を目にして、歓声を上げた。
特設スクリーンに映し出されたのは、キャンドルで作られた、『PEACE 917』の文字。

韓国のNGOの人たちは、「イベントを同時開催したい」という日本側の願いに
応えてくれたのだ。
海を隔てた国に今、同じ様にキャンドルに灯をともし、
平和に思いを馳せている人たちがいる。
思いの強さや向きは、おのおの違うかもしれない。
両者を隔てるものは、海以外にもたくさんあるだろう。
それでも、瞬間的にでも繋がることができたような気がしたあの夜。
その場に居合わせたことを、幸せに思った。

8月14日 「日韓平和キャンプ」の巻 パート2 その1
寝不足でも二日酔いでも、朝はやって来る。
ゆうべの酒宴のなごりを引きずりつつ、バスに乗り込んだ一行。
江華島を後にし、目指すは韓国最北の駅、『都羅山駅』

道中、隣の席に座った学生さんと話をする。彼、片言以上の日本語を話すのである。
「日本語習ってるんですか?」
「高校で一年間、日本語のコースを選択しました」
「・・・一年勉強しただけ?」
「はい。ほとんど忘れてしまいましたけど」
ちゃんと喋ってるじゃ〜ん!
自分も第二外国語で、フランス語を一年やったはずなんですけど。
「しるヴぷれ」しか覚えてないんですけど。この差は何なんだ〜!
と、心の中で呟きながら、会話は進んでいく。

「今、弟が徴兵に行っている」という彼に、
「あなたはもう済ませたの?」と訊いてみると、彼は右腕を突き出し、肘を指差した。
「子どもの頃に怪我したんだ。検査に引っかかって、兵役にはつかないことになってる」
で、どうするのかというと、代わりの社会奉仕として、
故郷の島で二年間、小学校の先生をやるのだそうだ。そして彼はこう言った。
「怪我をしてラッキーだったと思う。僕は銃を持ちたくないから」
徴兵制というものが持つ意味を、ずっしりと感じさせられた一言だった。

ふとバスの外の風景に目をやると、赤い看板があちらこちらに建っている。
辺りに地雷が埋まっている危険性があるということだ。
韓国と北朝鮮は、軍事境界線(休戦ライン)を挟んで対峙しており、
休戦ラインの南北2キロは非武装地帯となっている。
そして韓国側では、非武装地帯からさらに数キロ南までが、
「民間人統制区域」となっている。
都羅山駅は、民間人統制区域内に建設された、北朝鮮に最も近い駅である。

バスを降りた一行は、まず都羅展望台へ。
ここからは、休戦ラインの向こう側、北朝鮮を一望できる。
中へ入ると、前面がガラス張りになった展望室で、
若い韓国軍兵士が、なにやら日本語で説明をしてくれる。
が、この日本語、意味もわからず丸覚えしたでしょう?という感じ。
聞いているこちらも、チンプンカンプン。

外へ出て、眼前に広がる山並みを見た。
どこまでが韓国で、どこからが北朝鮮かなんて分からない。
けれど今自分がいるのは韓国で、あそこに見える街は北朝鮮なのだ。
そして"こっち"と"向こう"の間には、なかなか取り払えないであろう壁がある。
連なる大地と空間にわざわざ線を引き、多大な労力を持って
それを維持しているなんて、何だかご苦労さんな話である。
人間ってホントに不思議なことをする生き物だ、とちょっぴり、
いえ、かなりシニカルになりつつ、都羅山駅へ向かう。

韓国と北朝鮮の間で、鉄道の連結プロジェクトが進められるようになったのは、
2000年にピョンヤンで、南北の首脳が会談した後。
第二次大戦と朝鮮戦争で破壊され、分断されたままになっていた「京義線」
再連結しようというのである。
都羅山駅は、このプロジェクトの一環として建設された。
もしもこの路線が通じれば、釜山―ソウル―ピョンヤン―新義州を経て、
中国東北部へと抜けるルートができるということになる。
が、京義線の開通の目処は、まだ立っていない。
都羅山駅の先、北へ数百メートル行った地点で、線路は厳重に封鎖されている。
山の中にそびえ立つ、全面ガラス張りの超モダンな駅は、今のところ、
非武装地帯観光ツアーの目玉スポット、という役割に甘んじるしかない。
都羅山駅が本来の駅としての役割を果たす日は、一体いつ来るのだろうか、
とため息をつきたくもなる。

しかし、改札を抜けると、気分は一転した。
北朝鮮との往来を想定して、構内に掲げられた、
「税関申告」「出入国審査」などの案内板。
そしてプラットホームに立てられた「ピョンヤン⇔ソウル」の標示板。
それらを見ているうちに、不思議と、いつか何とかなるかもね、
という気持ちになってきたのである。
線を引くのが人間ならば、それを超えるのも、取り払うのもまた人間だもの。

駅のガイドさんの許可を得て、プラットホームから線路へと降り立った。
みんなで列を作って前の人の肩に手を置き、「しゅっぱぁーつ!」の掛け声で動き出す。
総勢約50名の人間列車の進み具合はぎこちなく、みんなで笑い転げた。
早くこの線路の上を、毎日何本もの列車が往来するようになればいいのに、
そう願いながら。

8月13日 「日韓平和キャンプ」の巻 パート1
今回のツアーのメインイベントである『日韓平和キャンプ』、いよいよ本日開始。
今日から二泊三日、韓国のNGOで活動する若者たちと行動をともにするのである。

朝、ソウルの街角に止められたバスの中で、眠い目をこすりながら待っていると、
韓国側の参加者が、ドヤドヤと乗り込んできた。
年齢層は10代後半から30代までで、日本側とほぼ同じ。
人数は30名弱。これで一行は、総勢約50人の大所帯となった。
まずは隣の席に座った相手との自己紹介タイム。
その後マイクを使って全員に向け、隣の席の人を紹介する。
皆さん、なかなかユーモアにとんだ話しぶりで、車中は早くもいい感じ。
そしてバスは一路、ソウルの西にある江華島(カンファド)へ。

ちょうど朝鮮(韓)半島の中心線上に位置する江華島は、
朝鮮の歴史のさまざまな場面に登場する。
古くから軍事的な要塞としての役割を担い、諸外国との交戦の場となった。
朝鮮が日本の植民地にされる発端となった、
『江華島条約』が結ばれた場所でもある。

地元の高校の先生の話を聞き、歴史館を見学した後、自転車で島内を移動。
・・・8月の猛暑の折にサイクリングだよ!ちっとも日陰ないし!
日干しになるかと思ったよ。
でも、ひーこらひーこら言いながら、みんなけっこう楽しそうだった。
のんびりゆらゆら走る人あり。ヤケクソみたいに突っ走る人あり。
二人乗り自転車で、女の子を後ろに乗せて走る日本男児あり。
同じく二人乗り自転車で、男性を後ろに乗せて走る、たくましき韓国女性あり。
そして、無事目的地に着いたときに食べたアイスのおいしかったこと!

江華島は干潟が多いことでも知られている。
その生態系保護のために活動している地元の学者さんの話を聞いた後、
実際に干潟に足を踏み入れた一行。
そこで始まったのは・・・、言わずもがな、泥の投げ合い、擦り付け合い!
大騒ぎ大はしゃぎである。中には全身で泥の中に飛び込む者も!
泥んこ遊びには、年齢も国境もないのであった!?

この日の宿泊先は、マリハッキョ
生態系教育のために作られた、小さな可愛いらしい「子どもの家」である。
夕食後、韓国側と日本側、互いの活動報告会を開催。
まずは場をほぐすための、レクリエーションタ〜イム♪
リーダーの指揮の下、妙ちきりんなフリのついた歌やゲームに挑む。
・・・林間学校に来た小学生のようだが、またまた大騒ぎ、大はしゃぎである。

そしていよいよ本題へ。
日本側からは、PKNJのスタッフが、『PEACE NOW KOREA JAPAN』という
ネットワークを立ち上げるに至った思いや背景と、
昨年の9月に行ったイベントについて報告。
韓国側からは、バクダッドに駐在していたNGOスタッフが、
実際に目にしてきた現地の状況について語り、イラク反戦と韓国軍の
撤退を求めてソウルで行った、平和アピールの様子を収めたビデオが流された。

そして最後に前に立ったのは、兵役拒否をしたために起訴されている青年。
韓国の徴兵制では、良心的兵役拒否が認められていない。
「自分の信条により兵役に就けない」と主張しても、受け入れられないのである。
今回話を聞かせてくれた青年は、いったん拘置され、
ちょうど裁判のために出所していたところだった。
「軍人になるより牢屋に入ろうと決心した」
「来月にはまた刑務所の中にいると思う」
淡々と話す彼の横顔が、今も心に残っている。

さて、報告会が終わった後は、マッコリで宴会。
みんなとにかく、よく飲む呑むのむ。部屋の中にいくつもの輪ができて、
韓国語、日本語、英語ちゃんぽんの会話が飛び交う。
疲れた者はふとんを敷いて勝手に眠る。元気な人はお好きにどうぞ、どこまでも。
というわけで、その日は結局、夜中の三時過ぎまで、ギターの音が鳴り響いていた。






「ピースボート」レポートは、こちらから

CLICK PLEASE!↓↓↓

ピースボート上のあかりさんは、今ここっ!



CLOSE