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<<蝶の舌>> 

蝶の舌
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『学ぶ』って何だろう?
この映画をみてから、ずっと考えていたことです。
漢字の書き方とか、足し算とかではなく、そのずっと奥にある、
「人ととして生きていくのに大切なこと」、を学ぶことの不思議について。
それをわたしに教えてくれた人のことを、 思い返してみました。

真っ先に思い出すのは、O先生です。
その方は、わたしに書くことをすすめてくれただけでなく、 書き方を教えてくれました。
でも、O先生から教わったことは、書くためのテクニックではありません。
ものの見方や、書く姿勢だったと思います。
先生はわたしに、いろんな分野で、コツコツと孤独にものづくり をしている人の存在を
教えてくださった。
その人達を通して、ものをつくりあげることの核に、 『志』があることを、
それとなく伝えてくれたのです。

わたしが何かに捕らわれすぎたり、混乱したり、迷ったりした時、
「まてよ、わたしにとって何がいちばん大切だったんだっけ」、と 立ち止まります。
その時、必ずと言っていいほど、先生の言葉を思い出します。
「余計な文章は削れ」だったり、「しみったれるな」だったり、
「かっこつけるな」だったりします。
その言葉とともに、黙々とものをつくっている人々の姿勢を、
自分もとっているのかどうか、その都度、 確認することになります。
自分が今やっていること、やろうとしていることに、 どれほどの志があるか、
大げさなようですが、いつの間にか、それがわたしの判断基準になりました。

文章の書き方の基本など、学ぶ姿勢さえあれば、自然と身に付くものです。
でも、もっと上質で、本質的なことを学ぶためには、 単なる情熱だけでは、
足りない気がします。
「ほら、こんな世界があるんだよ」とみせられた、その瞬間を、
わたしと先生は共有し、発見したことを互いに喜ぶことで、 魔法のような瞬間を、
つくり出していたんだと思います。
そこには、教育理論もなければ、押しつけもなく、
互いの尊敬と、共感、そして知ることの喜び。
先生とわたしの間にあったものは、それがすべてでした。

わたしにとって、背骨にあたる部分を学べたことは、
"書く人"としてだけでなく、一人の人間としての わたしの毎日を、
とても豊かにしてくれました。
そのことに気づいたのは、先生と会わなくなって、 かなり時が経ってからのことです。
何の関わりもなかったわたしに、たまたま注目してくださり、
無償で、 わたしの中の何かを伸ばしていく手助けをしてくれたこと。
よく叱られましたが、これほどの財産を手にしたわたしは、幸運でした。

「蝶の舌」という映画は、1936年のスペイン、ガリシア地方を 舞台に、
8歳の内気な少年モンチョが、引退間近のグレゴリオ先生に出会い、
この世の不思議と輝きを、そして人生の哀しみを学んでいく物語です。
年齢を超えた二人の出会いは、「スペイン内戦」によって 無惨に引き裂かれますが、
モンチョが先生から学んだことは、生涯、いちばんの宝物に なるはずです。
きっと彼は、その宝物を次の世代の子供へと、伝えることでしょう。
なぜなら、魂を伝えることだけが、先生への感謝のしるしだから。

映画の中で、グレゴリオ先生が引退される日、村の大人たちも見守る教室の中、
先生が子供たちに語りかける一言は、ステキでした。
「ありがとう。自由に飛び立ちなさい」



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