ニュージーランド、ファンガラと東海岸の住民たち、マオリ族には、
祖先がクジラの背中に乗って来たという、勇者伝説があります。
その勇者、「パイケア」のカヌーが転覆した時、クジラが彼を助けた、
という伝説もまた信じ、クジラと心をかわすことのできる男性を予言者とみなし、
その者を族長として、長い間、自分たちの文化を引き継いできたのでした。
今回ご紹介する映画は、そんな伝説の残る少数民族に起こる、
現代の奇跡の物語です。
主人公は、やせっぽちの12歳の少女、パイケア。
彼女の祖父、コロは族長で、二人の息子がおり、
その長男を次の"パイケア"と望み、
またさらに、次の後継者(男の子)が誕生することを、楽しみにしていました。
ところが長男の妻が、双子を出産した後、
産まれた男の子と一緒に、亡くなってしまったのです。
パイケアの父は、落胆し、村の伝説にしばられ、
抑圧する祖父と激しく対立し、
村を捨て、ドイツに渡ってしまいます。
一人生き残った、双子のかたわれの女の子は、
名前だけ、勇者の名にちなみ、パイケアと名付けられ、
大切に、祖母によって育てられたのでした。
やさしく、素直に育ったパイケアを、祖父は、女であるがゆえに、
長いこと受け入れずにきましたが、いつしか愛するようになります。
しかし、彼女を後継者にするなどという考えは、微塵もありませんでした。
ちょどその頃の村は、おしよせる現代化の波にさからえず、
若者は堕落し、村を去り、その子供たちも伝統を小馬鹿にするばかりで、
昔ながらの共同体は、もはや滅びようとしていました。
そんな状態を嘆く老人、コロは、村の男の子だけを集め、
その中から、族長の力を持つ者を選び出し、
「人々を暗闇から導き出し、村を再生させる真の指導者」として、
育てようとします。
聡明で、祖父の嘆きを深く理解し、
自分の出生に、哀しみと責任を感じているパイケアは、
それだからこそ、祖父から、村の伝統を学びたいと強く望むのですが、
「女はダメだ。神聖な場を汚す!」、と冷たく突き放され、
仕方なく、叔父に伝統を学びはじめ、
あっという間に、
少年たちよりも、上達していきます。
しかし祖父は、決して、少女の力を認めず、
「あの子の誕生から、不幸が始まった」と、
ひどい拒絶を示すばかり。
その拒絶に打ちひしがれている時、パイケアの悲しい心に反応したかのように、
浜には、たくさんのクジラが打ち上げられたのでした。
何とかして、早くクジラを海に帰さないと、みんな死んでしまいます。
村人が、初めて力を合わせ、総出でクジラを海に戻そうとするのですが、
クジラはびくともせず、目には生きる意欲も感じられません。
祖父はその悲しみの目を見て、一族の終末がきたと、深く絶望します。
その時、少女パイケアが、静かにクジラに近づいてくるのでした・・・。
たくさんの情報と、物とに囲まれ、
太陽や土が与えてくれる、
素朴なメッセージを受け取ることもなく、
共同体として生きていくこともなく、土地とともにつながる感覚も、
ほとんどすべてを失っているはずなのに、
こうした映画をみて、胸が高鳴り、平和な気持ちにあふれるのは、
どうしてだろうと、不思議な感覚におそわれました。
おそらく、人は一人では生きてはいけない、ということ。
人と小さな関係を結び、手をつなぎながら生きていくということ。
その関係だけが、生きていく喜びのすべてであることを、
情報でいっぱいの脳ミソではなく、
海の成分が残された、身体の中の細胞の一つ一つが、
感じ取っているのかもしれません。
『クジラの島の少女』は、原作も、監督も、出演者も、
すべてマオリ族の人々によって、つくられています。
そのせいか、最後のクライマックスの場面まで、大げさな展開はなく、
ゆったりと、非常にシンプルにストーリーが語られ、
命がつながっていることの素晴らしさと、
人々の中に眠る力の豊かさを、
静かに、力強く伝えてくれます。
ぜひ映画館で、心と細胞のざわめきを、体験してみてください。