「酔っぱらった馬の時間」で、
国家なき民族、クルド人の過酷な生活を描き、
衝撃のデビューを飾った、クルド人監督、バフマン・ゴバディの第二作目の作品です。
過酷で美しい作品だった前作同様、
今作品も、イラン・イラク国境近くを舞台にしていますが、
今回は、音楽一家のロードムービーというスタイルなので、
音楽あり、ユーモラスな日常ありと、
より豊かに彼らの生活に触れることが出来ます。
主人公は、クルドの大歌手、ミルザという老人で、彼の元に、
イラン・イラク戦争が終結した直後、
イラクに去った昔の妻、ハナレから、
人づてに助けの声が届くところから、物語は始まります。
実はハナレもまた、歌手だったのですが、女性に歌うことを禁じたイランを捨て、
ミルザをも捨てて、別の男とイラクへ駆け落ちをしたという、過去があります。
ミルザは、歌を奪われた彼女の心の痛みが分かっているだけに、
彼女を赦しており、何とか助けに行きたいと思っているのですが、
彼の二人の息子は、
父の名誉を奪い、家を汚した女のために、出かけることはない!
と、猛反対します。
しかしミモザは、家長の貫禄で、すでに中年に達している、二人の大きな息子
(彼らもまた音楽家です)を従えて、国境まで旅することになりました。
父は、決して権力的ではないのですが、二人のドラ息子たちが、文句を言いつつ、
意外に従順にくっついてくるスタートが、おもしろおかしく語られて、
前作とは、まったく違う楽しいムードに、ほっとします。
けれどもその旅は、かなり過酷なものでした。
すぐに盗賊に襲われ、唯一の財産であるオートバイはもちろんのこと、
大切な楽器から、金歯まで(!)、あっという間にすべて、奪われてしまうのです。
この地に、法規範がないことは一目瞭然で、
警官ですら、身ぐるみはがされ、
寒空に放り出される始末。
そこら辺の、乱暴な出来事が、ユーモアぎりぎりの感覚で、
愉快に語られていきます。
そんな彼らの珍道中を、楽しく盛り上げてくれるのは、
折りに触れ、歌われ、演奏される、彼らの音楽そのものです。
ミルザ一家のつくり出す音楽は、笛と、胡弓に似たバフラメという楽器と、
タンバリンに似た、ダイエレという楽器、
そして、ミルザの野太く力強い声で歌われる、歌のみです。
その音楽は、とてもエネルギッシュで、野性的。
クルドの民が、土地を追われながらも、たくましく生きてきた力強さであふれ、
また、大らかな国民性を感じさせる、素朴で情熱的なリズムに、
心も踊ります。
結婚式や、ケンカなどの、特別なことがなくても、何かと言うと歌い出し、
踊り出すクルドの人々を見ていると、歌によって、目に見えない民族の絆を、
分かちあい、強めてきたにちがいないことが、ひしひしと伝わってくるのです。
しかし、やっと到着した国境には、それまでのユーモアも笑いも、おしゃべりも、
すべてを沈黙させてしまうだけの、「死の臭い」が立ちこめているのでした。
空爆によって、完全に破壊された村々、
雪に覆われた厳寒の山岳地帯にある、難民キャンプ、
イラクの化学兵器による大量虐殺と、おびただしい数の集団墓地。
そこには、未亡人と老人と、戦災孤児だけで、成人男性は一人もいないという、
酷い現実が、少しずつむき出しにされ、前半のユーモアは、
完全に消え去ります。
あれほど楽しかった歌声も、不気味な爆音にかき消されそうになります。
しかしミルザは、言うのです。
「(ジェット機が通過する空を指し)この轟音、これも音楽だ。イラク軍のね」と。
そして、戦争で歌は忘れられてしまったと言う、知人の女にも、
「まさか、人々はみんな歌ってる。歌は永遠だ。
人々から歌を取り上げることは出来ない」と、静かに言うのです。
旅の終わりに、長男は、歌のうまい男の子を養子にし、
次男は、嫁にしたい女性を見つけ、彼女を助けようと寄り添います。
そして、ミルザもまた、ハナレから託された娘を背負い、
雪の国境を越えて行きます。
厳寒の地で見る、その後ろ姿は、あまりに過酷な現実を象徴していますが、
それぞれが見つけた希望は、歌と同じように、誰にも取り上げることのできない、
人生の一部なのだというように、ミルザは、決然と歩いていくのでした。