主人公リアムは、7歳。ちょっとシャイな男の子。
ほんの少し緊張しただけで、言葉が出なくなってしまいます。
たとえば、恐い牧師様に名前を訊かれただけで、
「ス、ス、スッ、スッー、・・・・・ス、ス、スッ、・・・・リアム!」って、感じ。
でも、歌は大好きで、言いたい言葉をメロディーにのせると、
リアム自身もびっくりするほど、スラスラ〜っと、言えたりもするんです。
とりたてて可愛い子供ではないけれど、家族にとっては、
かわいい末っ子。
造船所で働くお父さん(イアン・ハート)と、働き始めたばかりのお兄ちゃん、
造船所のオーナーである、ユダヤ人の家で、メイドとして働くお姉ちゃん、
そして、貧しいながらも、誇りをもって、
家をきりもりしている、お母さん。
子供たち3人が、とても素直でいい子なので、
この夫婦は、つつましくも、一所懸命、
家族を支えてきたことが分かります。
そんな家族に、大問題がっ!
時代は、1930年代、イギリスのリバプール。
大不況の波が襲い、造船所が突然、閉鎖されてしまうのです。
何日も、何日も仕事がない父親は、家族のために、
最後のつっかえ棒だったプライドを投げ捨て、親方におべっかまでつかうけれど、
うす笑いを浮かべて軽蔑されるだけ。
生活は見る間に困窮し、男として、一家の主としてのプライドもずたずたにされた父は、
家族とも友人とも、うまくいかなくなり、精神的にも
追いつめられ、孤立し、
怒りのあまり、あろうことか、ファシズムのグループに参加し、
ユダヤ人、アイルランド人などを排斥する運動に加わるという、
最悪の選択をしてしまうのです。
一方、お母さんは、髪振り乱し、質屋通いしながらも、
カトリック教をひたすら信じ、
貧しくとも、正しく生きようとがんばるのですが、
それがまた、夫をいらだたせ、追いつめてしまいます。
さらに、苦しい思いを抱えているのは、ティーンエイジャーの兄と姉。
大人になりかけている彼らは、両親の確執も理解できると同時に、
かすかな失望もあり、その感情に罪悪感も感じつつ、
思春期の反抗もあいまって、
心をあちこち揺らしながらも、
自分たちなりの答えを探そうとしています。
そんな家族の嵐の中で、7歳のリアムは、あまりに無力です。
彼にできるのは、せいぜい質屋に行って、
値段を少しばかりつり上げるぐらい。
あとはただ、争い傷つけ合う家族のそばで、おろおろするか、
深く傷ついた母の髪を、櫛でそっと梳いてあげるだけ。
でもリアムにだって、人生はあるのです。
しかも、一大事がすぐそこに迫っていました。
もうすぐ、初めての聖体拝領を受けることになっているからです。
そのために受けた宗教の勉強で、罪を犯すと地獄火の罰を受ける!
という説に恐れおののきつつ、その一方では、
宗教画の女性の裸体と、
うっかり見てしまった、母の沐浴の姿との違いに(毛がある!)、
大いなる疑問符が生じ、とうとう、懺悔まで受けて、牧師様に質問をしたりと、
彼は彼なりに、大人たちの苦難をよそに、
7歳の子供の日々を精一杯、元気に生きているのです。
映画のファースト・シーンの、新年を迎える楽しい様子から、
不況によって、どんどん悪い方へ、転がっていく中で、
人種間の問題や、思想の問題、宗教の問題と、現代にも続く深刻な問題が、
様々なエピソードとして散りばめられていきます。
でも、だからといって、話が散漫になったりはしません。
それは、リアムという少年の視線を通して、
人の営み、生きることの哀しさ、
闘うことの意味、家族で暮らしていく生活などが、
ていねいに、すくいとられていて、
リアムの願い、
「家族みんなで楽しく暮らすこと」へと、
収斂されていくからです。
ラスト・シーン近く、
リアム一家の状況に救いはなく、
彼らの生活が好転する兆しも見受けられないのですが、
ただ一つ、黙って髪をすくリアムの姿を見るだけで、
その無垢な気持ちの尊さに、ハッとさせられるシーンがあります。
7歳の子供が、この家族に奇跡をもたらすことは、
不可能かもしれません。
でも、大切な誰かの哀しみに、そっとよりそうこと。
リアムのこの行為を見ているだけで、
神様か天使か、とにかくそういう存在が、
この世には、確かにあると、信じられるのです。
世界を本当に支えているのは、実は無力な子供たちの
方ではないのかと、
思えてきたりもします。
リアムが、このやさしさをずっと持っていてくれたら、
この家族は、再生できるかもしれない。
そんな祈りをこめて、最後に「がんばれ、リアム」と、静かにつぶやくはずです。