『ビートルズ』の音楽をつくった人と言えば、ジョン・レノンとポール・マッカートニー。
『ローリング・ストーンズ』と言えば、あまり洋楽を聴かない人でも、
ミック・ジャガーと、キース・リチャーズの名前ぐらいは、
すらすら出てくるでしょう?
では、スティービー・ワンダーや、マイケル・ジャクソンの音楽を支えた、
『モータウン・サウンズ』をつくった人の名前は?
と、訊かれたら・・・?
う〜ん、これは、かなり難しい。
たぶん音楽通の人だって、分からないはずです。
そういうわたしも、ぜんぜん知りませんでした。
『ファンク・ブラザース』というメンバーの存在を。
さて、映画紹介の前に、ざっと『モータウン』のことを復習いたしましょう。
マーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー、
ジャクソン・ファイブ、
ダイアナ・ロス&シュプリームス、
スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ、
テンプテーションズ、フォートップスなどなど、・・・。
まだまだ、数え切れない程の有名アーティストがいますが、
彼らはすべて、「モータウン・レコード」から名曲をリリースした
アーティスト達です。
そしてこの「モータウン・レコード」を設立したのが、
アメリカ北部ミシガン州デトロイトに生まれ育った、
黒人の実業家、ベリー・ゴーディー。
1959年に設立されたこのレコード会社は、
ソウル、R&Bなど、ブラック・ミュージック専門のレコード会社で、
60年代から70年代にかけて、ご機嫌なナンバーを次々に生み出し、
一世を風靡したのでした。
"マイ・ガール"、"恋のうわさ"、"クール・ジャーク"、"悲しいうわさ "、
"ホワッツ・ゴーイン・オン"などなど、今でもよく耳にするこれらのヒット曲には、
ある共通したサウンドがあり、いつの間にかそれを、一つのジャンルかのように、
『モータウン・サウンド』と、呼ぶようになりました。
そのサウンドとは、
人々の心をつかむフレーズや、踊りたくなるようなリズム、
一度耳にしたらゼッタイに忘れない、ノリのいいイントロがあって、
ビートが強く、ベースやギターの音が生き生きとした、グルーブ感のあるサウンドです。
これらのヒット曲をつくり、名曲としての
魂(ソウル)を吹き込んだのが、
エディー・ホランドとブライアン・ホランドの兄弟と、
ラモン・ドジャーという3人のメンバーからなる作曲家チームと、
当時のレコーディング・バンドだった、
『ファンク・ブラザース』のメンバーでした。
彼らは、自分たちの音楽を録音することを夢見ていた、ソング・ライター、
アレンジャー、アーティストらで、
熾烈なライバル意識を燃やして、
ウエスト・グランド通り2648番地にあった、"スタジオA"に集まった、
無名のアーティスト集団でした。
数多くのヒット曲を、たった1時間で数曲というペースで生み出し、
録音も、1テイク、一発勝負という早業でこなしていた彼らですが、
どれだけ、『モータウン・サウンド』に情熱を注ぎ込み、ヒット曲を作っても、
彼らの名前は、1971年まで、ただの一度もレコード・ジャケットに、
クレジットされなかったという、
今では信じられないような悪条件下で、演奏をしていたのです。
つまり、彼らの曲が、絶賛され、大ヒットを飛ばしても、
彼らの元には、金も名声も、
何もやってこないのでした。
彼らの言葉を借りれば、
「夢の外におきざり」にされた日々だったのです。
映画では、生存しているメンバー達のインタビューや、
当時のフィルムなどから、
60年代という独特な時代の雰囲気や、曲作りやレコーディングの熱気、
過酷なステージ・ツアー、支払いの時には常に銃を携帯していたこと、
薬中毒になってしまったメンバーのこと、人種差別など、
彼らの生み出したヒット曲の栄光とは裏腹の、暗い真実が
ゆっくり語られ、
初めて知る事実に、衝撃を受けます。
けれども、同時に、全編に30曲以上流れる、モータウンの名曲を聴き、
さらに、ベン・ハーパー、ジョーン・オズボーン、
ミシェル・ンデゲオチェロ、
モンテル・ジョーダン、チャカ・カーン、ジェラルド・レヴァートやブーツィー・コリンズなど、
R&Bのスーパースター達が、彼らをバックに歌うという、
夢のライブ共演を見ると、今にも踊り出したくなるような気分にもなるのです。
その何とも言えない、複雑な感情こそが、当時のモータウンが抱えていた、
光と影、そのものなのでしょう。
この映画は、2002年のニューヨーク批評家協会賞最優秀ノンフィクション賞など、
数々の賞を受賞したと同時に、この映画によって、
ファンク・ブラザースの功績に、改めてスポットが当てられ、
再評価の波が巻き起こるのですが、
この映画の中で演奏する、老ミュージシャン達の笑顔からは、
ただ好きな音楽に打ち込んできたという、
真のミュージシャン魂だけが伝わり、
さらに、胸が熱くなるのでした。