◆◇◆Save Our Souls 我らが魂を救え!◆◇◆


<<鬼が来た>>
〜鬼子來了〜  DEVILS ON THE DOORSTEP

鬼子

↑オフィシャル・サイトは、ここをクリック!

東京都内は、新宿武蔵野館、渋谷シアター・イメージフォーラムで、公開中!

日本人にとっては、胸が痛くなる映画です。
第2次世界大戦が終結に向かっていた、1945年の旧正月直前。
中国・華北の寒村、掛甲台(コアチアタイ)村で、
日本軍の小隊が引き起こす、狂気の世界が描かれているからです。

監督はチアン・ウェン。『太陽の少年』で、鮮烈な監督デビューをしましたが、
本業は俳優、それも中国を代表する俳優で、今作品でも主演しています。
彼がこの映画をつくったモチーフには、二つあったそうです。
一つは、今でも世界の至るところで起きている、戦争というものを描きたかったこと。
もうひとつは、彼の知っている日本人は、皆いい人なのに、
その上の世代の日本人は、 なぜ中国で、あんなに残虐な行為をしたのか、
その謎を知りたい、ということ。

ストーリーは、貧しい農家の男マー(チアン・ウェン)のもとに、
突然、ある男がやって来て、麻袋を二つ、強制的に預けていくところから始まります。
麻袋の中身は何と、日本人兵士の花屋小三郎(香川照之)と、
通訳の中国人トンでした。
マーの住む村は、すこぶる平和な村ですが、占領下にあり、
しかも、日本海軍の砲塔が、村の中に建っているという状態ですから、
日本兵を家に置くなどということは、危険極まりない行為です。
村人たちは、彼らを殺すか、日本軍に引き渡すか、喧々轟々、話しあいますが、
人のいい村人たちには、結論は出せず、しばらくの間、面倒をみることになります。

一方、日本軍兵士としての教育を受けている花屋は、
『生き恥をさらすぐらいなら、死んでやる!殺せっ!殺せっ!』と、
ヤケクソになって騒ぐばかり。
しかし花屋は、日本軍人として強がってはいるものの、戦闘の経験もなく、
日本に帰れば、ただの農家の息子に過ぎません。
国は違えど、農民であることに変わりはなく、やがて、世話をしてくれるマーや、
村人たちとも、打ち解けていくのは、自然な成り行きでした。
互いのこころが通い合うまでのドタバタは、言葉が通じないことによるおかしさや、
欲や、愚かな思惑とない交ぜになって、ゲラゲラ笑わせながらも、
実に巧みに、軍人のこころ、農民のこころ、占領者としてのこころ、 という、
それぞれの立場から見える心象風景を、覗かせてくれます。

ところが、すっかり大人しくなった花屋が、
「自分を元の小隊に戻してくれたら、 お世話になった村人に、食料を分けましょう」、
と約束したところから、雲行きが怪しくなってきます。
驚愕するのは、村人と日本軍の小部隊が集う、無礼講の酒席のシーンです。
村の男が、上官にたわむれたのがきっかけで、
花屋が突然、激情にかられ、その村人に向けて、刀を抜くのです。
その瞬間、大きな疑問符が、頭の中をグルグルと駆け巡りました。
なぜ、村人に刀を向けるのか?よりによって、あの花屋が?

ついさっきまで、言葉が通じなくても笑いあっていたはずなのに、
次の瞬間には、不可解な断絶が生じ、一人の行動が全員に伝播し、
恐怖の色に染まっていく時の、その異様なまでの不気味さと、
口の中がザラザラするような不快感に、呆然としながら、
終盤へとなだれ込んでいきます。

映画が終わってからも、考えずにはいられませんでした。
なぜ、あの花屋が、刀を抜いたのだろうかと。
花屋が特別に悪い人間だからでしょうか?
たぶん、そんな単純なことではないはずです。

人間のこころが悪いから、だから戦争を起こし、人を殺す。
当たり前のようでいて、それは、ちょっとピンとこない答えだと、感じます。
それよりも、正当な理由からはずれたところに、答えがあるような気がしてなりません。
業とか、煩悩とか、魔がさす、という言葉がありますが、そうとしか言えないような、
人間の意志を超えたところに、鬼になる瞬間が、確かにあるに違いない。
その時、ぽっかりと暗く深い穴が覗き、
自分で自分を抹殺してしまいたくなるような感覚だけが、
生々しく皮膚にはりつき、このわたしも、刀を抜くかもしれないのです。
しかもそれは、戦争という非日常だからこそ、あり得るのではないことを、
終戦後のマーの運命によっても、見せつけられます。

人間のこころは当てにならない、という薄気味悪さ。
人の行為というのは、こころのあり方や思考や思想を、 必ずしも忠実には反映しない、
ということを、これほど深く冷静に、しかも人間の体臭を感じさせながら、
活き活きと描き切る、 チアン・ウェン監督の肝の据わった人間観に、
ただただ、ひれ伏す2時間でした。

この映画を、たくさんの人に見てほしいと思います。
人間には、絶望的な一面があることを知ることは、
絶望的な選択をしない、ことにつながるかもしれない。
それは、文化大革命を生き、その後の政権交代によって、
価値観が、二転三転するのを肌で感じてきた監督自身の、
強い願いでもあると思うのです。

                                        −writing by 吉田 妃呂−

戻る




[HOME]
MAIL ←吉田妃呂への
メールはこちらへ!