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<<落穂拾い>>

ハート型のイモ

↑オフィシャル・サイトは、ここをクリック!

東京都内は、6/1〜6/14まで、吉祥寺バウスシアターで公開中!
その他の地域は、オフィシャル・サイトをチェック!

監督名をみただけで、すぐにその映画をみなくっちゃ!と思う監督が何人かいます。
アニエス・ヴァルダ監督も、その一人。
ヌーヴェル・ヴァーグを代表する監督で、わたしの好きな作品は、
「冬の旅」、「ジャック・ドゥミの少年期」、「百一夜」などなど。
ドキュメンタリーの手法をメインに、
軽やかな感性と知性という、スパイスがふりかけられた映像には、
暮しに対する謙虚なまなざしと、人生を愛する喜びがあふれていて、
憧れさえ感じる監督の一人です。

そのアニエスの8年ぶりの新作、「落穂拾い」は、
まず、食べ残しを求めて、ゴミ箱を漁る老婆の姿をみた感動が、きっかけになったとか。
その姿を追いかけるうち、「落穂拾い」という誰もが知っている名画とのイメージとだぶり、
"現代でも、「落穂拾い」はあるのだろうか?"
"もしあるのならば、彼らに出会ってみたい"、とデジタル・カメラを抱えて旅に出た、
彼女いわく、『さすらいのロード・ドキュメンタリー』となりました。

そもそも「落穂拾い」とは、中世から続くヨーロッパの農村共同体で、
収穫後の畑に散乱する落穂を、老人、寡婦、孤児、障害者など、
社会的に弱い人々に、拾うことを許した、歴史的な慣行でした。

時代は変わって、飽食の現代の「拾う人」の姿は、実にさまざまです。
浮浪者、不法就労者、移民など、現代の弱者が、まず目につきますが、
彼らの「落穂拾い」を、即、「ゴミ漁り」と連想するのは、
あまりに単純だということが、すぐに分かりました。
彼らは、確かに「物持たぬ人」でありながら、おおらかで寛大、 自由な精神で、
友人や家族と、その日その日を生きているからです。
その姿は、強者である金持ちよりも、ある意味、豊かな一面を持ち、
もちろん、拾うことに恥など感じてもいなければ、自己卑下もなく、
タフな生活の中に、ユーモアも忘れない生き方をしています。
放浪癖のある男は、拾ってきたガラクタに囲まれながら、
「ここは自然に囲まれてるし、とっても幸せだ。天国よりはちょっと落ちるけど」
なんて言って、笑わせてくれたしね。

74歳になるアニエスも、すぐに彼らのユーモア精神に打たれ、驚き、感心し、
そして共感することで、どんどんリラックスして、
拾う人に近づき、話しをし、彼女の旅そのものを楽しみだします。

規格外となった、まだまだ食べられるジャガイモの小山の中に、
ハート型のイモを見つけて、「ちょうだい!」と、うれしそうに声をかけたり、
絵画の「落穂拾い」と同じポーズをとって遊んだり(サイト・チェック!)
ボクシング・グローブを首にかけている、おもしろい顔をした犬や、
自分の車を追い抜いていくトラックなどが、ランダムに映し出され、
いつの間にか、ウキウキと、彼女の好奇心の世界に入り込んでいきます。

「拾う人」は、まだまだ登場します。
ゴミを再生して、芸術作品をつくり、高額を手にするアーティストもいれば、
捨てられた人形で、グロテスクな家をつくり上げた、
ロシア人のレンガ職人のおじいさんもいます。
フランスは、ヨーロッパを代表する農業国だけど、それ故に、
「需要と供給のバランスは守るべき」、という理念のもと、
絶対に「落穂拾い」は許さない!、とがんばる農園主や地域も出てきます。
それでも、拾う権利があることを、朗々と語る、愉快な弁護士もいますけど。
摘み残したリンゴを拾う、二つ星シェフや、
食材の足しにするため、トラックで大量のイモを運び出す、ボランティア団体もいます。
まっとうな仕事をしながら、ゴミ箱に捨てられた物だけで、 食を満たしている男もいました。
「僕にとって、拾うことは倫理的な問題」、なんですって。
スーパーのゴミ箱に、薬を撒くのはやめろ!と、怒る若者のグループも目にしました。

様々な「拾う人」や考えに触れると、この世の不平等や、
飽食の時代ならではの、どうしようもなく腐った現実も 感じられたりするけれど、
登場する人々には、それぞれの常識や、生き方、個性があって、
喜びや悲しみの対象が違うように、 貧乏という考え方にも、物を拾うということにも、
それぞれの意見や信念があり、
人間の豊かさ、奥深さと共に、この世も人間も、一筋縄ではいかないんだなぁ、
と思わされたり、考え込んだり・・・。

最後に登場するのは、終了した市場に残った野菜を拾って食べる、
菜食主義の青年。
彼は、修士課程も出ているというのに、"新聞売り"という仕事で、何とか暮らしています。
その彼が、6年も前から、彼が住む施設で、移民してくる外国人たちに、
無料で、フランス語を教えてもいるのです。
アニエスは、彼の純粋さに打たれつつ、彼にたどりついた彼女の旅の時間に、
思いを馳せたりもします。

実は、この映画のテーマに沿った映像の他に、アニエスは、
自分の白髪頭や、シミが浮き出た自分の手までも、入念に映し出し、
自分の生きてきた時を振り返るような、容赦のない、私的な時間感覚も、
ポツン、ポツンと、差し挟んでいます。
それでも、決して散漫にも、おしゃべりな感じにもならず、
かえって、のんびり道草でも楽しむような、自由で自然な呼吸が感じられるのは、
「拾う人」をみる視線と、老化していく自分をみる視線に、 垣根がないからでしょう。

ゴミ問題、消費社会、不平等という、現代の社会的テーマが主軸ではあるけれど、
目の前にある対象に出会い、それをただ「みる」ということが、
こんなに慈愛に満ち、豊かな行為であったということに、
改めて気づかされる映画です。

                                        −writing by 吉田 妃呂−

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