映画が始まって、まず聞こえてくるのは、乾いた風の音。
そして目に映るのは、はるかかなたまで広がる砂漠と、そこに吹き付ける砂嵐です。
一人の老人が、しゃがみこんで、枯れ木を拾い集め、
その仕事が終わると、カメラをじっと見つめながら、ゆっくり話し出しました。
『ラクダには、もともと神から褒美として、枝角が授けられていたが、
ズルイ鹿がやってきて、ラクダに「枝角を貸してくれ」と頼んだ。
心やさしいラクダは、貸してやった。
その鹿は二度とその枝角を返すことはなく、
それ以来、ラクダは地平線を眺め、
今でも鹿が戻ってくるのを待っているのだ』
ラクダが、なぜいつも涙目で、絶えず"涙を流している"
ように見えるのか、
それは、こうした言い伝えによるのだと、語ります。
するとカメラは、果てしなく広がるゴビ砂漠を映し、
一頭の、ふたこぶラクダを映していきました。
その身体の、何と大きく立派なことでしょう。
ここに住む人々にとって、ラクダはとても大切な存在で、
しかも畏敬の念すら感じられる、穏やかで暖かなカメラワークで、
何十頭もいるラクダと、大自然を映しとっていきます。
さらにカメラは、ラクダに向けるのと同じ視線で、
ある遊牧民の一家の日常に向かいます。
地平線で、夕焼けが終わりに近づいた頃、
おばあさんは、バター茶をつくり、それを数滴、地にまいて、
夜の祈りを捧げ、それから、晩御飯の準備にとりかかります。
若い夫婦は、羊にエサをやったり、ラクダに水をあげたりと世話に忙しそうです。
彼らの小さな息子二人も、せっせとお手伝いをしています。
さらに、その下の小さな妹は、母親の回りをウロウロまとわりつくので、
とうとう、ゲルの中のおばあちゃんの所にやられ、
紐でゆわいつけられて、泣き出しました。
こんなふうに、モンゴル南部に住む、4世代の遊牧民一家の物語は、
ゆったりと進んでいきます。
季節は春。
らくだの出産時期を迎えています。
最初の満月の夜、出産が始まり、毎日が忙しくなっていき、
その次の満月の夜、群れの中の最後の若い母ラクダが、やっと産気づくのですが、
これが大変な難産で、翌日になってもまだ産まれず、
とうとう、遊牧民一家が助けての出産となり、
やっと、珍しい、白い子ラクダが誕生しました。
しかし、母ラクダは、初めての出産が、あまりの苦痛に満ちていたためか、
子ラクダへ乳をあげようとしません。
可愛い白ラクダの子が、悲しげに泣いても、冷たく無視し、
子供が近づいても、乳をやるどころか、蹴る始末です。
このままでは、子ラクダが衰弱してしまうので、
遊牧民一家は、母ラクダの足を縛ったりもするのですが、
うまく子供に乳を与えらません。
「まぁ、ラクダが育児拒否するなんてっ!」と、思ったら、
こういうことは、よくあることなんだそうです。
そして、もっと驚くことに、遊牧民一家は、誰一人、母ラクダを悪く言わず、
心配して見守り続けたかと思うと、
ついに、出産で傷ついてしまったラクダの心を癒すため、
"馬頭琴による音楽療法"で、治そうとするのです!
この後、馬頭琴の演奏と、一家の若い母の、切なく美しい歌声で、
母ラクダは、心の傷を癒し、やっと白い子ラクダを受け入れるのですが、
こうした療法も、おとぎ話しなどではなく、
本当に行われていることなんだというから、驚きです。
テレビもない、情報もない、過酷な自然現象以外、何もない砂漠の大地ですが、
何と豊かで、濃密な時間が流れていることでしょう。
ただあるのは、美しい自然と、人間と、動物たちだけ。
けれども、彼らの間には、目には見えないけれど、確かな絆があるのです。
人も動物も、愛なくしては、生きられないという、
当たり前だけど、忘れてしまいがちな大切なことを見届けた、
至福のドキュメンタリーでした。
この作品は、ドイツのミュンヘン映像大学に通っていた学生、
ビャンバスレン・ダバー(モンゴル出身)とルイジ・ファロルニ(イタリア出身)の、
共同監督による、卒業制作です。
二人の若く、素直な目によって映しとられた、
輝くような命の存在感を、ぜひ、体験してください。