イギリスの労働者階級の人々の生活を、社会問題と併せて描く監督、
ケン・ローチの最新作は、15歳の少年の心の痛みが、胸に突き刺さる映画です。
スコットランドの田舎町に住む少年リアムは、大人でも子供でもない、15歳。
実の父は、ドラッグにまつわる事件で、すでに死亡。
母親は、ヤクの売人をしてる最低の男と依存しあう仲で、
その男と暮らし続け、今は、男の身代わりになって服役中。
リアムが16歳になる前に、何とか釈放されることになっています。
リアムの姉シャンテルは、そんな母親に愛想をつかし、家を出て、
福祉援助を受けながら、無料で受けられるクラスも受け、
何とかどん底の暮らしから抜け出そうと、必死に生活しています。
そんな彼女も、まだ10代だというのに未婚の母となっていて、
それだからこそ、リアムを心配し、「自分を捨ててはだめ」と、いつも励ますのですが・・・。
祖父と、母親の恋人の虐待という、劣悪な生活環境の中、
リアムはすでに9ヶ月も、学校には行っていません。
毎日、何をしているかというと、児童養護施設で知り合った友達の、
キレやすい少年、ピンボールとつるんで、望遠鏡で星を子供達に見せたり、
パブで煙草を売ったりして、小遣いを稼いでいます。
家庭環境のせいもあって、ロクなことはしていない彼ですが、
天体観測とサッカーが大好きで、母親にも甘えていたいという、
まだ、あどけなさも残る、ごく普通の15歳の少年。
そんな彼の夢は、大きく稼いで、下卑た男と祖父から、母親を引き離し、
自分と、姉と、そして母親と一緒に、家族だけで幸せに暮らすこと。
その夢の実現のため、彼は売人をやっている母親の男から、ヤクを盗み、
それを売りさばいて、湖のほとりの小さなトレーラーハウスを買おうとしますが、
当然のことながら、ドラッグの元締めである組織の者に目を付けられ、
なかなか頭のいいリアムは、見込まれて、逆に組織に取り込まれてしまいます。
ドラッグのせいで、人生がボロボロになってる母親を救うために、
自分が、そのドラッグで手を汚していく過程は痛ましく、
組織のボスの、心憎いほど上手いリアムの操作法にも、
大人の卑劣さを目の当たりにするようで、震えがきます。
ある時は、「親父のように死にたいか?」、と揶揄し、
ある時は、「お前はヤク中じゃない。頭もいい。一人前だ。大した奴だ」
と、若い心のプライドをくすぐり、さらに、高級な家という、ニンジンまでぶらさげて、
彼の売人としての才能を、どんどん伸ばしていきます。
一方、親友のピンボールとの間がギクシャクして、弱気になり出すと、
すかさず、「お前のような奴にチャンスが来るのは、一度っきりだぞ」、と脅し、
彼を逃さないように、やんわりと、がんじがらめにしていくのです。
母親を守りたい、幸福にしたい、一緒に暮らしたい、という彼の思いは、
裏返せば、彼が母にしてもらいたかったことのすべてです。
けれども、彼の思いなど、そんな暮らしの中でかなえられるはずもなく、
次々に裏切られていく姿は、痛々しくて、たまらない気持になります。
さらに悲しいのは、母の恋人の暴力を心の底から憎んでいるはずなのに、
自分もせっぱ詰まると、それを武器に、自己正当化しようとしてしまうこと。
しかも、いちばん大切な人に、暴力を向けてしまうことです。
こんなふうに、人を傷つけちゃいけないけれど、
こんなふうに、自分を傷つけてもいけない。
だって、まだ、人生が始まったばかりの、15歳なんだから。
リアムと、まったく同じ環境ではないとしても、思春期の狭間で、
大人の事情や、薄汚い思惑に左右され、
無力に拳を握りしめ、佇むしかない15歳は、
たくさんいるはずです。
そして、かつてそんな15歳を過ごした、わたしもまた、
ラスト近く、16歳の誕生日を迎える時の、子供の顔のままの彼を見つめながら、
きつく、くちびるをかみしめ、彼の悲しい視線に耐えながら、
それでも、「自分を捨てるな」と、つぶやくしかありませんでした。