僕は、本棚に飾ってある箱を手にとってみた。
それは五年前、二人で行ったインドで、君が一目惚れして買った、
手のひらよりやや大きめの、手編みの小物入れだ。
こったデザインが素敵だと、一人ではしゃいでいたのを、
あの時僕は、高熱でダウンしたホテルのベッドから、
眺めていたっけ。
この部屋に入るのは、一ヶ月ぶりだ。
僕はここに月に一度、かすかに積もった埃を払いに入る。
その度、君のやさしい匂いが、少しずつ部屋から消えていき、代わりに
湿り気のある、重く冷たいカビの臭いに変化していくのを感じてきた。
この部屋は、僕の妻だった女性の仕事部屋だ。
彼女は、三年前の今日、交通事故であっけなく逝ってしまった。
あの日、空は青く、澄み切っていた。
すばらしい青空の下、見通しのいい交差点で、
追い抜きをかけようとしてハンドルを切り損ねたワゴン車に、
はねられたのだった。即死だった。
僕はそれから、心のどこかを抹殺したまま、
この三年を一人で生きてきた。
今日もきれいな青空だ。
僕は、あの日以来、青空を見るのが恐くなった。
彼女は旅行ライターだった。キャリアを積むため、
いつも精力的に働いていた。
好奇心旺盛で、バイタリティーもある君は、
遊ぶことも大好きで、僕は引きずられるようにして、
遊びにかり出されたものだった。
スキー、ダイビング、カヌー、山登り、探検部がやるような海外旅行。
大学の研究室か家で、じっと本を読むのが好きな僕にとっては、
君と出会わなければ、生涯体験しなかっただろうことばかりだ。
おかげで骨折を一度、捻挫は二回、ネパールで高山病、
インドでは、原因不明の高熱と下痢に襲われ、もはやこれまでと、
遺書まで書いたこともあった。
その遺書は、しっかり君に見つけられ、さんざん笑われたあげく、
旅の記念にと、写真と一緒にスクラップされているはずだ。
でも、それがどこにあるのか、僕は知らない。
君がいなくなってから、君の物は何ひとつ整理できないでいる
からだ。
君はエスプレッソが好きだった。僕は苦手だったけれど。
ロック、ブルース、ゴスペルというジャンルも、君が好きだったから
聴くようになった音楽だ。そう言えば、君と暮らし初めてから
、部屋には不思議な物があふれるようになった。
アフリカの太鼓や沖縄の三線ぐらいは、僕にも分かったけれど、
錆び付いた鉄の固まりと、竹の先にひもと錘がついていて、
それをブンブン振り回すと音がでる楽器は、その音が生むリズムの
熱狂に同調できるとは、とても思えなかった。
それからネパールの曼陀羅図と、マティスのコピー絵は好きだったけれど、
君が崇拝していたフレディー・マーキュリーのポスターを、
僕はできるだけ見ないようにしていたんだ。君は気づいていたかな?
君の宝物は全部、この部屋にしまいこんでしまった。
ごめんよ。でも、きっと君は怒らないでくれるだろう?
僕は手のひらにある、小物入れを開けてみた。
君の物に触れるのは、あの日以来初めてのことだ。
いつも君が使っていたレポート用紙と、もう一枚、
ザラザラした再生紙が、どちらも四つに折られて入っていた。
僕は、君のレポート用紙を広げてみた。君の文字があった。
料理もあまり得意じゃないし、家事もそこそこで、
いつも何か落としながら歩いているような君らしい、踊るような
文字があった。
僕はその文字を、指の腹でそっとなぞりながら読んだ。
一番上には大きく、『これから10年間の、二人の100のリスト』
という長いタイトルが書かれていた。
三年前、君が逝ってしまう直前の、君の誕生日の夜のことが、
突然よみがえった。あの夜、外で食事を楽しんだ後、
僕たちは初めて、真剣に、子供のいない人生について
話し合ったんだ。
僕たちの結婚生活は、八年間。なぜか、子供はできなかった。
僕は、子供がいてもいなくても、どっちでもよかったけれど、
君がどうしてもほしいと言い出し、検査を受けたら、
君が非常に妊娠しにくい体質であることが、分かってしまったのだった。
事実を知ってからの数ヶ月、僕たちの間には、微妙な空気が
流れ始めた。
君は何でもない顔をしていたけれど、ギリギリと音がするほど
歯を噛みしめながら、自分がどれだけ努力してもどうしようもない
ことに怒り、一人で耐えていた。
そしてその孤独を僕にぶつけることもせず、
僕の寄り添いたい気持ちもシャットアウトして、
ただひたすら、一途に苦しんでいるのを、僕はただ見守るしかなかった。
このままではいけないと、あの日、僕は初めて、子供のことを口に出してみた。
子供がいるのもいいけれど、僕にとっては君との暮らしの方がずっと
大切だ。それに、
子供が与えてくれる喜びを、僕が代わりに差し出すことはできない
けれど、どうせなら、
子供がいないからこそできる生活を考えてみようよ、と。
「僕たちが楽しく暮らしていれば、子供だってつられて
やってくるかもしれないじゃないか」
そう言ったら、君は初めて僕の前で、泣いたんだ。
それからしばらくして、僕たちは、二人で100のリストをつくった。
リストの一つ一つを読んでみた。
「砂漠でメロンを食べる」、「ロマの楽団と友達になって、一緒に旅をする」、
「無人島を発見する」、「一年間の休みをとって、
世界一周をする」、「飛行機の操縦資格を取る」、
「誰も見つけたことのない虫か花を見つけて、名前をつける」、
「マジシャンになって、ヨーロッパで大道芸の旅をする」
これらはみんな、君らしい望みだった。
「アフリカ徒歩縦断」、「南アメリカ徒歩縦断」、「南極点まで歩いていく」、
これは絶対に、僕は反対だ。
41番目に、「オーロラを見る」というのがあり、
そこに赤いボールペンで、花マークが記され、『TOP』
と、書かれていた。なぜ、これが最初だったのかは、
思い出せない。
リストの中には、「母親になる」とか、「子供が産まれる」と
いう言葉は、やっぱりなかった。みんなが当たり前のように手に入れているものを、
この世では手にできないこともあるんだね。
もう一枚の紙も開いてみた。そこには、僕の几帳面な文字があった。
何と、僕がインドで熱にうかされながら書いた、
君宛の遺書じゃないか。
君と出会い、暮らすことができたのは、僕の人生にとっては、
最大級の金星だったこと、
僕は君がいないとダメになるけれど、
君は僕がいなくても、きっと元気に生きていけると思うから、
僕の分まで、しっかり生きてほしいということ。
そうしてくれたら、僕も今まで以上に、君と生きることに
なると思う。
そして次の世で、まためぐり逢えたら、今度は僕の方から
プロポーズするよ。
などと、未練たっぷりなことが書いてあった。
『できれば老人と呼ばれる日まで、ずっと二人で暮らしたかった。
短い間だったけれど、ありがとう。できる限り、全力で、君を見守っているよ。
役に立てるかどうか、分からないけれど』 と、僕の遺書は、
頼りない約束で締められていた。
本当に、僕は君を守れなかった。
「老人と呼ばれるまで、二人で暮らすこと」
それは、僕がこの世では果たせない夢になった。
その遺書に書いてある通り、君がいなければ、僕の人生など、
同じ風景が永遠に続く電車に乗っているようなものだった。
僕のこころに生まれた空白は、君をどれだけ思ってみても、
埋められないのは分かっていた。でも時間が経つにつれ、
君を喪失した痛みまでをも失いたくないと、その空白に
しがみついてきた。だから君の荷物を、何一つ、整理できなかったんだ。
けれども、僕の孤独感は、
ますます安っぽくなるばかりで、君を喪失した絶望的なまでの空虚
さには、ただ愕然とするよりなかった。
僕はこの三年間、死んでしまった
君と同じ場所にいたと思い込んでいたけれど、実はまったく
別の場所で、一人で死んだようにしゃがみ込んで
いたに過ぎなかったんだ。君を思うこと、君を失ったことが、これほどこっけいで、悲哀に
満ちたものだとは、考えもしなかったよ。
僕はしばらく、そこに佇んだまま、
君の荷物に触れるんじゃなかったと、深く後悔していた。
紙をまた四つに折りたたもうとしながら、あの夜のことを思いだした。
僕は、彼女に言ったはずだ。
子供のいない人生を考えてみよう、と。
その言葉の残酷さに、僕は自分でたじろいだ。君のいない人生を
考えるなんて、想像するだけでもゾッとしたからだ。
君はもういないのに、おかしいかな。
もう一度、君が書いてくれたリストを眺めた。
「バンジージャンプに挑戦」、「上海ガニをたらふく食べる」、
「ピアノを習い始める」、「料理の修行をして、プロになる」
いつも陽気だった君の笑い声が、聞こえてくるようだった。
そして考えた。
もし君なしの生活を、一人で楽しんでいたら、お調子者の君は、
つられてのこのこ、本当にやってくるかもしれないな、と。
僕も、リストをつくらないといけないのかもしれない。
それが、君に残酷な言葉を投げかけてしまった僕の、
今できるたった一つの償いのような気がした。
そして、その一つのことに、僕はどうしてもしがみつきたい
衝動にかられた。君が今いる場所と同じところに立つために、
君ともう一度生きるために、
僕はもう少し、自分の生を生きなければならないのだろう。
かつて、君が生きたように。
僕は、君の部屋から、キレイな青空を見上げた。
最初は何にしようか。
そう、「オーロラを見ること」 にしよう。
これは、僕も見てみたい。
僕は、居間に戻って、自分の100のリストを作り始めた。
きっとまた、君に笑われるような、おとなしいリストになるだろう。でもいいさ。
タイトルは、こう書いたよ。
「一人で生きるための100のリスト」 と。
- 終 -
writing by 吉田 妃呂